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2013年8月 7日 (水)

●神の子を宿した乙女『聖母マリアの伝説』!!…マリアの幼年期②

《マリアの神殿奉献》…ヤコポ・ロブスティ・ティントレット/1552-1553年/ヴェネチア(イタリア)―この階段は、ヴェネチアのパラッツォ・ドゥカーレのそれに似せたようだ。画面の手前に、恵まれない者や、乳離れしない子供を配することで、マリアの聖性を際立たせている。祭司は、教皇の衣装をつけた姿で描かれ、マリアの奥にある劣ったオベリスクは、権威を暗示している。《マリアの奉献》…パオロ・ウッチェロ/1433-1434年/フレスコ/プラート(イタリア)―幼いマリアが、神殿の階段を昇っていく。階段の左側では、母アンナと父ヨアキムが、心配そうにわが子を見守る。この作品があるプラート大聖堂には、1141年に貿易商ミケーレが、エルサレムの正教会の司祭だった義父から授かったという、マリアの聖なる腰帯が安置されている。
《マリアの教育》…ピエール・レタリエ/1658年/ルーアン(フランス)―マリア像がより知的なものとなるに従い、神殿で養われ、天使の運ぶ食物で育ったとする聖書外典の記述に反し、自ら教育者となるアンナ像が描かれるようになった。奥にいるのは、父ヨアキム。作者のレタリエは、二コラ・プッサンの多くの弟子のひとりで、14年間をローマで過ごし、その後は地元のルーアンで活動した。
◎マリアの幼年期―[3歳で神殿に入り、天使から供え物を受けて育つ]
†外典『ヤコブ原福音書』によれば、マリアは、わずか3歳で神殿に仕えるために預けられる。それは、アンナが月桂樹の下で神に祈っていたとき、もしも子を授かったら、その子が男でも女でも、一生涯、神に仕える者にすると誓っていたからである。だが実際には、当時のエルサレム神殿には、女性神官はいなかった。したがって、おそらくこの逸話は、マリアが清らかで神聖な環境で育ったことを強調するための創作で、アルテミス神殿に5歳から9歳の幼い処女が仕えたという異教の風習を借用したのではないかといわれている。同外典によればアンナは、マリアが生後6か月のときに、たった7歩歩かせただけで、あとは土も踏ませず、子守りを任せるのも清らかな処女だけという徹底ぶりだったという。マリアが2歳になったとき、父ヨアキムは「私たちが立てた誓願を果たすため、神殿に連れていこう」と、アンナをうながす。しかしアンナは、「この子が父さん、母さんを恋しがらないように、もう一年待ちましょう」と、夫に提案し、ヨアキムはこれに従う。やがて3歳になり、乳離れしたマリアは、ついに両親に連れられて神殿へとやってくる。これが「神殿奉献」の場面である。幼いマリアは、老いた両親が心配そうに見守るなか、ごねもせず泣きもせず、健気に階段を昇っていく。ちなみに、この階段が15段で描かれるようになったのは中世以後、エルサレムへと向かった巡礼者たちが歌った『旧約聖書』の詩編「都に上る歌」が、全15編であることによる。その後、外典『ヤコブ原福音書』によれば12歳まで、他の書物によれば14歳まで、マリアは、天使の運ぶ供え物を受けながら神殿で育ったという。それ以上のことは、謎のヴェールに包まれたままだった。
†『黄金伝説』が伝えるマリア像
・ところが、13世紀以後になると、外典が伝える親子の別れとは矛盾する、少女時代のマリア像が登場する。別々に暮らしているはずのアンナが、『聖書』の詩編を使って、娘のマリアに読み書きを教える場面である。ラ・トゥールやスルバンといった多くの画家に描かれたこの《マリアの教育》の出典は、13世紀、数多くの外典や聖人伝を集め、これを編纂したジェノヴァの大司教ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230年頃~1298年)の『黄金伝説』である。この書物が中世のベストセラーとなり、また当時のヒーロー的な存在だった修道士たちが援護射撃を続けたことで、マリア信仰は、世の女性たちの規範となりながら、権力者から庶民にまで浸透していった。

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