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2013年8月17日 (土)

●神の子を宿した乙女『聖母マリアの伝説』!!…マリアの載冠⑦

《聖母マリアの載冠》…ルドヴィコ・ブレア/1513年/ジェノヴァ(イタリア)―父なる神とイエスと聖霊の三位一体から王冠を受ける聖母マリアが、無数の聖人たちに囲まれていることから、《万聖人の絵》とも呼ばれる。作者のルドヴィコ・ブレアは、イタリアのニースに生まれ、ジェノヴァで活躍した。215人もの群像から、16世紀初頭に流行した髪型や服装、宝石などが詳細に読み取れる貴重な大作。今も研究が進められている。《聖母の載冠》…ムーランの画家(おそらくジャン・エイ)/1498年/アリエ(フランス)―「ヨハネの黙示録」に記された女性のように月を踏み、太陽を纏い、天使たちに冠を受ける聖母マリア。その光と影の細密な描写といい、繊細な表情といい、圧巻だ。この大作は、長らく作者不詳とされてきたが、1961年、ある美術史家がジャン・エイではないかと推測し、にわかに注目されるようになった。
《聖母載冠》…聖母載冠の拡大。聖母マリアをはじめ、マグダラのマリアがイエスの埋葬の準備をしているところ。《聖母の載冠》…聖母載冠の拡大。父なる神とイエスと聖霊の三位一体から王冠を受ける聖母マリア。
◎聖母載冠
[神から王冠を授けられ、天の女王となる]
†イスラエルの寒村の、貧しい大工の妻マリアに、王冠ほど不釣り合いなものはない。それでも、中世にはマリア信仰が盛り上がり、教会が時の権力者や貴族との関係を深めるに従って、聖母の神格化は進んでいく。その出発点となるのは、431年のエフェソス公会議とされている。この会議において、マリアは「神の母(テオトコス)」と定められた。ただし、聖人や天使に囲まれ、マリアが王冠を授かる「聖母の載冠」が、さかんに描かれるようになるのは、13世紀以後である。聖母載冠の表現は実に多様で、王冠を授けるのは、フラ・アンジェリコの作品のようにキリストだったり、ヒィリッポ・リッピのように父なる神だったり、エル・グレコのように三位一体だったりする。聖母披昇天や聖母載冠のマリア像は威厳に満ちているが、これは「ヨハネの黙示録」のイメージを反映している。そこに記された「太陽を纏い、足の下に月を踏み、その頭に12の星の冠を被り、赤い龍(悪魔)と戦う女」が、聖母マリアに重ねられていくのだ。また、15世紀頃になると、識字率1パーセントの時代に生まれ、おそらく文字も読めなかったであろう貧しいマリアが、『聖書』を手にした幼子イエスを膝にのせる姿で描かれるようになる。つまり、知恵のシンボルとして側面をも兼ね備えていく。
†聖母マリアは地母神か?
さまざまな要素を吸収し、柔軟に変容していくマリア像のルーツは、どこにあるのだろうか。ローマのプリシッラのカタコンべ(地下墓地)には、最古の聖母像がある。簡素なトーガをまとい、子供を抱くふくよかな母の姿をしたその像は、太古の地母神を想起させる。地母神の系譜に連なる女神は多い。たとえば、夫オシリスのばらばら死体を集め、これを復活させたエジプトの女神イシス。無数の乳房をつけた出産の守護神で、処女神でもあるアルテミス。そんな神々の美徳を、聖母マリアは吸収したのかもしれない。あるときは、マントの下に信者たちを庇護する万人の母。あるときは、知的な女性の規範。またあるときは、悲劇の共感者として、マリアは多様な横顔を見せながら、人々の圧倒的な支持を得てきた。イタリアでは、20世紀末の段階でも人口の12パーセントがマリアにちなむ名をもつ。また、ルルド、ファティマ、メジュゴリエと、聖母出現地への巡礼は、今も熱気を失わない。そこに、父と子と聖霊という硬直的な「父系の宗教」に対して、平和でパワフルで柔軟な「母系の宗教」の復興を見るような思いがする。

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